憎むより、畏れる。
今朝、志村けんさんが新型コロナウイルスで亡くなられたという、衝撃のニュースが駆け巡りました。
ドリフのメンバーや関係者のみならず、朝の情報番組のコメンテーまでも一報が入って一様に絶句したと伝えられていますが、その中で、
「コロナが許せない」
「コロナが憎い」
と精一杯に絞り出すようなコメントが出されていたのが、印象的でした。
一方で、都会に住む地方出身者が、感染していながら公共交通機関を利用して帰省する事例が、問題になっています。
それどころか、島根や鳥取は未だ感染者が出ていないということで、都市部から観光目的の人的流入があると伝えられています。
実際に、1週間ほど前の出雲大社は、参拝客が多かったとも聞きます。
しかし、そのことを伝えた新聞記事が
「ウイルスの拡散を助長する」
との批判を受けて、記事を削除しました。
結果的に都市から地方へウイルスを「持ち込んだ」とされる人に対して、「無責任」と断じる、怨嗟や悲鳴にも近い声が、ネットで溢れかえっています。
ただし、現在では行政からの「外出自粛」に留まっているため、個別の行動を制限しきれないのも確かで、これに対して行政の責任を問う意見もあります。
オリンピックの延期が契機、というとうがった見方になるかもしれませんが、それまで比較的抑制的とも言えた「コロナ禍」が、一気にヒートアップし、志村さんがお亡くなりになられたことで、臨界点に近づきつつあるように感じます。
今回と似たような状況が、過去にもありました。
今からおよそ100年前に、世界で5億人が感染した「スペインかぜ」のパンデミックで、日本でも、島根県出身の劇作家の島村抱月が罹患、著名人では最初に亡くなり、世間に大きな衝撃を与えたと言います。
詩人の与謝野晶子はこのことに触れ、当初は情報が抑制的だったこと、行政が人の移動を制限せず、劇場や映画館を閉めなかったこと、そして売れっ子だった島村が不特定多数の劇場出入りしていたことを踏まえて、
「盗人を見て縄をなうというような、日本人の便宜主義がこういう場合にも目につきます」(『感冒の床から』)
と述懐したそうです。
あまりに、現在の状況と似ています。
与謝野晶子(左)、島村月(右)
すこし前まで、抗体やワクチンができるまでの辛抱で、それができたらウイルスに
「克服し打ち克つ」
「人間の勝利」
という威勢の良い言葉もメディアから聞こえてきましたが、それが今では、
「許せない」
「憎い」
と語調が変わりました。
私は、このいずれの言葉にも違和感があります。
確かに人間は有史以来、繰り返し疫病と「闘ってきた」歴史があります。
そもそもウイルスは単独では生きていけない寄生体で、宿主である生物の細胞に入ることで初めて増殖し、活動を活発化します。
特に人間が都市での生活をするようになってから、「感染爆発」(エピデミック、パンデミック)が発生するようになり、古代メソポタミアの『ギルガメッシュ叙事詩』でも疫病が四災厄の一つに挙げられています。
そして、民族や文化の交流をきっかけに、各地に拡がって行きました。
日本でも仏教の伝来と共に、大陸から天然痘がもたらされたと言われています。
ウイルスを克服すれば、新たな状況に適応した新種が生まれる。それと共に医学も発達する。この「闘い」の繰り返しが、文明を発展させてきたとも言えます。
誤解を恐れずに言えば、人間とウイルスは持ちつ持たれつの「共生関係」の一面があるのです。
安穏とした日常や愛する人を奪うウイルスに対して、感情をぶつけたくなる気持ちは理解できます。
しかしあまりの昂りから冷静さを失うあまり、ウイルスへぶつけるはずの感情が的を外れて(元々ウイルスに感情をぶつけるべき的はありません)人間社会に向き、行政への不信、罹患者への無理解、デマや差別、イデオロギー闘争が「爆発」してきたのも、また歴史が示すところです。
この疫禍の叡智として、よく「正しく怖がることが大事」と言われてきました。
しかし私は、この際の「正しい」の定義がよく分かりませんでした。
情報は錯綜していましたし、人は「正しい」と定義した瞬間から固執し、思考を停止します。
でも、「憎む」ことが正しいことではないことだけは、よく分かります。
東日本大震災の際、大自然に対峙する姿勢として取り上げれた「畏れる」(畏敬する)。
今こそ私たちは、ウイルスに対して「憎む」のではなく「正しく畏れる」ことをしなければいけないのではないでしょうか。(副住職 記)
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