沿革
臥龍山 宗淵寺(がりゅうざん そうえんじ)
寺伝によると、文禄・慶長(1592〜1615)の頃、出雲郷(あだかえ)・町方の「古寺」と称する所にあって、周防国より移住した豪士・周藤家の菩提寺であったと伝えられています。
寺格を得たのは寛永18(1641)年、松江市洞光寺8世衮室勧補大和尚を勧請開山として再建立してからで、その後火災による伽藍焼失を機に、天保14(1843)年、現在の地に移されました。本堂向拝の象鼻の彫刻は荒川亀斎(1827〜1906)の作。
『福井県史』によると、元治元(1864)年の第一次長州出兵の際には、福井・丸岡藩が当寺に軍陣を張った。この時客死した藩士の戒名が、当寺の過去帳でも確認できます。
大正から昭和にかけては、佐藤造機(現・三菱マヒンドラ農機)創業家の菩提寺として、多額の喜捨を受けて山容が整えられました。
現在は、昭和37(1962)年に本堂の屋根葺替え、昭和56(1981)年に庫裡改築、昭和61(1986)年に鐘楼再建、平成5(1993)年に位牌堂(坐禅堂併設)建立、平成10(1998)年に観音堂(願興寺)屋根替え及び修復を経て、今日の主な伽藍が整いました。
現住職:第十七世 碓仙省吾和尚(板倉省吾)
主な行事
1月1日〜3日 三朝祈祷
檀信徒の人心安寧を祈念し、祈祷札の供養をします。
4月17日 大般若会
檀信徒の人心安寧を願って大般若経六百巻を転読します。転読の風に当たるとご利益にあずかれると言われています。
5月8日 花まつり/愛玩品供養
お釈迦様の生誕を月遅れで祝い、花御堂を飾り、甘茶の接待などをしております。
また、この日に合わせて、人形や文房具といった愛玩品のお焚き上げ供養を行います。
7月17日 施食会
檀信徒の先亡供養、初盆の精霊供養、戦没者慰霊法要を行います。
8月15日 灯籠流し
意宇川で盆送りの灯籠流し、盆中の供物のお焚き上げを行います。
9月彼岸中 塔婆供養
檀信徒の先亡供養を行い、塔婆を授与します。
12月31日 除夜の鐘撞き
参拝者を接待し、梵鐘を撞いていただきます。
宗淵寺梅花講
曹洞宗の御詠歌「梅花流」を唱え奉る宗淵寺梅花講。
月2回のお稽古をされ、その成果として当寺の恒規法要や梅花流地方奉詠大会でお唱えいただいてます。
新美山 願興寺(しんびさん がんこうじ)
境内の観音堂は、新美山願興寺と称し、出雲観音霊場第二十三番札所となっています。
奈良仏教の流れをくむ1300年の歴史をもつ古刹と云われます。現在、法人格はなく、宗淵寺の伽藍の一部として管理しています。
草創は崇峻天皇の御宇と云われ、後宮の稲目宿禰の姫君、その尊母が尼となり新美比丘と号し、この地に願興寺建立を発願したと言います。また、出雲国分尼寺との関係を伺わせる論考もあります。
本尊は十一面観世音菩薩。古来から「子さづけ観音」としての霊験が伝えられています。
『出雲観音霊場記』によると、慶安年中(1648〜1652)、松平藩主の命によって、頽廃した願興寺は宗淵寺境内に移転建立され、その後また破却の憂き目にあった堂宇を、家盛んにして信心深い同郷の長澤某というものが再建した、とされています。
願興寺観音講
願興寺観音講は、観音信仰の信者組織として、昭和63年に発足しました。現在も宗淵寺の檀信徒を中心に、およそ200名ほどの講員で、願興寺の講活動や境内の整備を行っています。
また、ペット供養の運営も観音講によって行っています。
毎月17日には恒規法要を(現在は感染症対策のため、宗淵寺本堂にて)行っています。
毎年4月、11月の第2日曜日には、出雲三十三観音霊場の巡拝を行っています。
観音講の行事には、檀信徒や講員だけではなく、どなたでもご参加できます。
その他に境内には、幼霊を供養する童仏、痛いとところが撫でると治ると言われる賓頭盧尊者、秋葉三若大権現や「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿などが祀られた小祠などがあります。