空気を読まずに、変える。
今日は「おばさん」のお宅のご法事でした。
と言っても私とは血縁のない檀信徒の女性で、他の人は「(苗字)のおばさん」と呼びますが、全てのカテゴリー超越したおばさんの中のおばさん、トップ・オブ・おばさん、ザ・おばさんとの意味で、私は敬愛を込めて、何も冠詞をつけずにただ「おばさん」と呼んでいます。
パーソナルスペースがほぼなく、とにかくお喋り好きのおばさん。今日も宅法事で祭壇前の準備をしている私に容赦なく話しかけ、私もそれに釣られて言葉を返していたら、いつの間にかおばさんと向かい合って約10分くらい話し込み、今にも法事が始まるを思って待ち構えている家族や親戚は、その間正座したまま待ちぼうけでした。
うちの近所に住むこのおばさんとは、私が子どもの頃からの付き合いで、10年前の私の結婚式では、安来節の歌い手でもあるおばさんと社中の人に安来節を披露してもらいました。
とにかく社交家のおばさんの家には、地域の人がお茶を飲みによく訪れ、界隈の情報がよく集まります。世間話の探偵みたいなおばさん。
昨年、師父が病に倒れた時、総代の一部の方にしか事情を話していなかった段階で、たまたま道であったおばさんが私に「この前、お寺に救急車が来たけど、何かあった?」と尋ねてきました。実際は救急車でなく自家用車で病院に搬送しましたが、きっと何かリークがあったのだと察して、事の次第を話しました。まだ内密にしてほしいと伝えると、おばさんは
「うん!わかった!!」
と、何故か得意げに去って行きました。今思うと、カマをかけられたのかもしれません。
その後、退院した師父が家に戻った姿を見たおばさんは、師父にツカツカと歩み寄り、まだ病み上がりの師父の肩をバンバン叩きながら、
「良かったねー!元気になって!心配したけん!もう大丈夫だねー!」
と矢継ぎ早に見舞いの言葉をかけていました。すると師父は、お礼の言葉を返す間も無く、おばさんに揺さぶられながらボロボロと泣いていました。
そんなおばさんにかけられた、今でも忘れられない言葉があります。もっとも、言葉をかけられたのは私ではなく、妻です。
今から9年前、私たち夫婦は待望の第一子を、出産予定日の1週間前に死産しました。そのショックは計り知れず、私も妻もしばらく人に会うのもしんどいくらいでした。周りの人たちも悼ましさからのお気遣いだとは思いますが、まるで腫れ物にでも触るような接し方でした。
私は、お寺の仕事で無理矢理にでも人に会わねばなりませんでしたが、専業主婦の妻は、ただ家で呆然とした日々を過ごしていました。
それでも日にち薬が効いたのか、1ヶ月くらい経ってようやく犬の散歩に出るようになった妻。すると運転中だったおばさんがそれを見つけ、歩道の対向車線(一車線挟んだ距離)で車を停め、ウィンドウを下げて首だけ車から出し、笑顔と大声で妻に話しかけました。
「〇〇ちゃーん(妻の名前)!どげなー?!元気になったー?!」
久しぶりに家族以外の人と話す妻は、少し面食らいつつも「は、はい、ありがとうございます」と言葉を返しました。するとおばさんは、
「生理は来たー?!」
と尋ねてきました。気圧されるように思わず妻が「あ、はい」と返すと、おばさんは、
「オッケー!じゃあ大丈夫だー!」
と言い残すと、後続車が来たので、そそくさ走り去って行きました。
妻からその話を聞いた時、私は「おばさんらしいな」と思い、ひさしぶりに爆笑してしまいました。我に返って妻を見ると、妻の顔もどこか吹っ切れたような微笑を浮かべていました。後で聞いたら「逆にあれで性根が入った」と述懐していました。一種のショック療法でした。
おばさんの「空気を読まずに、変える」処世術。誰にでもできることではありませんが、ただ間違いなく、おばさんの言葉と態度には嘘がない。本当にすごいおばさんだし、今も感謝に耐えません。今日はそんな日々の報恩のお勤めをさせて頂きました。(副住職 記)
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