岡山・高松地区(最上稲荷〜備中高松城址)拾い歩き①
時を経て今回、ようやくお参りする気にさせたのが、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』です。
なぜか妻にとって、小学生以来の視聴習慣となったNHK大河ドラマの最新作。そしてなぜか、我が家のお猫様もご執心。確かに、極彩色の映像美が目を引きます。
言わずもがな、明智光秀の生涯を描いた作品ですが、おそらく、年末のクライマックスの舞台となるのが、ここ備中高松。と言っても光秀本人ではなく、豊臣秀吉にとって天下取りへの大行軍となった「中国大返し」の起点となった場所。およそ1年前に先取りして、その場所を見ておきたいと思ったわけです。
当時、織田軍による「中国攻め」の軍団長を務めていた秀吉。この備中高松城攻略に当たりますが、城主・清水宗治に守られた高松城を攻めあぐねます。織田信長は光秀による援軍を指示しますが、その中国攻めに出陣したはずの明智軍が本能寺を急襲、信長を討ちます。
報せを聞いた秀吉は、速やかに毛利と和睦を結び、多くの人心と引き換えに宗治を切腹させると、約10日かけて京までの約230キロを全軍で取って返し、「山崎の戦い」で光秀を討ち果たします。『超高速!参勤交代』の戦国版ですね。
こうして、他の功臣に先んじて主君の仇を討った秀吉が、その後の覇道を歩んでいくことになります。
その高松城攻めの際の、秀吉軍の最初の陣営地となったのが、城を見下ろす龍王山の中腹、現在の最上稲荷の境内地だったと言います。
自由に点灯できる仁王像のライトアップのオンオフの具合を確認してから、
境内へ入る前に、ふと後ろ髪を引かれる感じがして、振り返ると、
参道沿いに並ぶ門前町がありました。
そう言えば、私が修行をした永平寺も、車社会になって門前町が廃れていったのを思い出して、門前町をスルーして車で乗りつけたことを、少し反省。
どんな様子か見たくなって下って行くと、
いわゆるアーケードの門前町と言うと、一応、名古屋の大須商店街もそうなのでしょうが、それとは比べようもない薄暗さと狭さ、レトロさ。
屋根に透過性がないので、昼間でも薄暗くて、まるでトンネルに迷い込み、時空の隙間に取り残されたような感覚になります。
そして、豊中に引き続き、こちらにもウルトラマン。
ちなみにこれ、タロウだから掛け声は「シュワッチ」じゃなくて「タァー」が正解。
この食品サンプルのクオリティで、結構強気の価格設定。
およそ600m下って、ようやく参道入り口にたどり着きました。本来は、この界隈に駐車して、トンネルをくぐるように門前町を上がっていくのでしょう。私の場合、ここから再び仁王門に戻ったので、 およそ1、2kmほど歩いたことになります。
参道を戻った先の、こちらが本殿。
そして境内地には「車体祈祷所」なる一角が。
車体で直接乗り付けて、ここで新車の安全祈願をするようです。
本殿の奥には旧本殿があり、その周りに「縁の末社」と呼ばれる一画があります。小さなお社が林立して、それぞれにお稲荷さんの使いである「狐」が祀られていますが、どれも像容が様々で個性的。ですが、どれもやたらと表情が怖いのです。
古来より狐は妖獣として、神聖性や霊性があると見なさた一方で、最下クラスの野狐などは人を誑かすとされてきました。その畏敬の表象でしょうか。
もしかしたら、これから神仏に願意を掛けようとする人間に覚悟があるかや品定めをするための畏れと厳つさ、永平寺の山門で新到を待ち受ける客行和尚みたいなものかもしれませんね。
ところで、この最上稲荷は神社かお寺かと問われると、正式名称は「最上稲荷山 妙教寺」という、日蓮宗の寺院。しかし明治の神仏分離令に際しても、特別に神仏習合の祭祀が認められたそうです。
つまり、中近世の日本人の信仰形態を残している場所。隠岐の島とは対極にありますね。
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