出鼻を挫くも、構わず坐る。
コロナ禍を受けて始めた、宗務所の『遠隔坐禅会』。
昨年の今頃、「コロナ」という未知の不安の前に、あえて宗意の安心であるはずの坐禅にすがろうと、外出も憚られるたためにZOOMを介して、仲間の僧侶数人と行ったリモートの坐禅が、思いの外具合が良かったため、宗務所でも実施することにしました。
なにもすることができなかった当時、あえて坐禅を立ててそれを行い連帯できたことで、私や仲間の僧侶は救われたし、ユーザーからは「この時期に伝統教団が動いている」との好意的な反応を感じることもできました。
すっかり「コロナ慣れ」して、日常が手探りながら戻りつつある今、『遠隔坐禅会』の当初の役割も変わってきていると感じたので、一旦ここで仕切り直すため、宗務所行事としての体裁を練り直すため、この3月いっぱいで休止をしました。幸福にも、宗務所長老師のご慈慮もあって、早い段階で再開をしたいと思っています。
さてその間、一年でルーティンとなったユーザーや私個人の日常をつなごうと、自身のお寺のFacebookアカウントでのリモート坐禅会を、『リモ坐』(仮)と名付けて開催することとしました。昨朝がその第一回目となったわけですが・・・。
結論から言うと、配信時間が遅れた上に、音声がOFFったままという、出鼻を挫く、残念な配信に・・・。
失敗の原因は、「過信」としか言いようがございません。
それまでは、ZOOMやOBSといったソフト(アプリ)から、Facebookライブにアクセスしていましたが、昨朝は一人での配信ということもあって、初めてFacebookライブで直接配信しようとしました。
しかし、この一年でさまざまな配信を経験したことが、逆に過信となったのでしょう。「他のソフトを経由するより操作は簡単だろう」とたかを括り、事前に準備や試験配信をしなかったのが、奢り、運の尽き。
まず配信直前に、何気なく、macユーザー御用達のブラウザである『safari』からFacebookを開いたのが、残念の始まり。
いつものように配信の準備画面(Facebook Live Producer)を出すと・・・
「・・・ボタンが押せん。」
いつもならクリックして始まるはずの「ライブ配信を開始」ボタンが無効になっているのです。この時点で、配信開始時間の1分30秒前。
「やばい、どうしよう・・・」
ここで一気にテンパリモードに。
しかし、これまでも配信前にトラブルはありました。とにかく同じを操作を繰り返えして時間を潰すのではなく、別の手段を試す。これが常套。
ふと、ZOOMではChromeで配信していることを思い出し、ブラウザをチェンジ。
(Facebookに限らず、ライブ配信の際は、ブラウザをChromeにするのが鉄則です)
それでも配信ボタンは無効のままでしたが、ブラックアウトしたままのカメラを「設定画面」で選択して映るようになり、配信ボタンが押せるように。
この時点で配信開始予定を2、3分ほど過ぎるも、配信ボタンをクリック。
配信画面に自身の姿が写り、ホッとした開放感から、『リモ坐』初回のご挨拶を滔々と述べた後、いつものように1炷坐って、坐後のご挨拶をして配信終了。
しかし、いつもなら多少なりとも清涼感のある坐後にもかかわらず、なぜか拭いきれない不安感。
恐る恐る、配信済みの動画を再生すると・・・
「あー、無音。。。」
坐禅中の静寂ではなく、前後の挨拶も、坐禅中に鳴らした合図や梵鐘の鐘の音はおろか、生活音やノイズさえもない「絶対無音」の中で、ただ私がお口パクパク・・・。
原因は、「設定画面」で、この時に有効なマイク入力の選択をしなかったこと。
死んでるマイクを繋いでも、そら無音になりますわ。
いつもの『遠隔坐禅会』だと、これが自動でつながるし、他の参加者から「声が出ていない」とのアドバイスもあったりしたのですが・・・。
坐後にも関わらず、居た堪れない思いで俯きながら、朝のお勤めのために観音堂向拝の階段を登っていると、突然、昨日はなかったはずのネズミの死骸が足元に。
「おうっ!!」
驚いた拍子に、思わず泣き出しそうになりましたわ!
その衝撃で、一連の動揺が定着してしまい、残念な気分で一日過ごしましたとさ。ドヨォォ─(lll-ω-)─ォォン…
まあ、色んな意味で、日常が変わる難しさを体験した、『リモ坐』(仮)の第1回でした。
でも、これで挫けずに続けなければ、意味がありません。
昨年度に体験した坐禅の功徳を糧として、謙虚に、真摯に、過信せず、この行事を細く長く、続けたいと思います。(住職 記)
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