映画『典座ーTENZOー』の感想③

思い込み、穿った挙句に、我田引水。


本稿を書いていて実感するのは、以前からそのきらいはあったけれど、筆者もすっかりと、「ただ話の長い中年」になったということ。


というわけで、切ない気持ちもただちに忘却。作品自体に話を戻して続けます。


「エピソード・ゼロ」としての道場修行 

本編では冒頭で「匂わせ」程度、直接描かれない「エピソード・ゼロ」と言える場面・舞台がある。

それが、倉島・河口両師が同参したとされる修行道場での生活で、本編はそれからおよそ10年後だとされる。


この「10年」について、製作陣が意図して設定したかわからないが、個人的に筆者は、永平寺での修行を終える際、ある老師から、

「お寺に帰っても、10年は(周囲に対して)物を言わない方がいい」

というアドバイスを頂いた。


現実の道場の修行は、特に地方寺院の後継候補者にとっては「壮大すぎるロールプレイ」なのだが、そこで教え込まれた「不離叢林」「一生参学大事」を額面通りにしか受け取れなかったり、修行を終えた自負が偏屈な自尊心にしかなっていない者にとっては、道場を下りてから本物の「難行」が待っている。「10年」というスパンは、その「難行」の比喩でありスローガンだと、筆者は受け止めたし、実際にそうだった。


入門当時、それまでの娑婆世界での暮らしから、道場での修行生活の様式に適応するのに、確かに苦労はするが、3ヶ月経てば、すっかり「プログラミングは書き換えられる」。

目標や行動を単純化して神聖視し、規則や共同生活でがんじがらめになるのは、確かに窮屈ではあるが、実は楽で居心地がいい。


この辺の前提を感覚的に補うために、映画『ファンシィダンス』(1989)を観るのもいいし、個人的には『ショーシャンクの空に』(1995)を、ブルックスの立場になりきって観るのがオススメだ。


おそらく、映画の登場人物であるチケンとリュウギョウは、「道場」という同じ胎内に回帰し守られた、双生児のような体験を共有していたのではないだろうか。


道場で書き換えられたプログラミングを、「巣立ち」の後、入門前とは様相を変えた(ように見える)娑婆世界で、チケンは(自分なりに)最適化しようとするが、リュウギョウは(半ば強制的に)アンインストールする(させられる)。

再起動まであとワンクリックというところで、両者は再びアクセスするが、すでに言語やコンセプトごと更新されていて、わずかに残る断片化された共有のプログラミングは、もはやバグでしかない。


初見以降は、そんな状況から物語が始まるものとして、本編を観直した。


「持つ者」と「持たざる者」

映画本編の構図として、チケンは「持つ者」で、リュウギョウは「持たざる者」として描かれている。

一見すると、チケンがそうかは分からないかもしれないが、リュウギョウと比較すると、それは明らかだ。


筆者はこれを、自身の全曹青出向経験を踏まえて、チケンは「ロマンを持つことを許される者」であり、リュウギョウは「ロマンを持つことを許されなかった者」の構図だと読み替えた。


ここでいうロマンには、二つの意味がある。


一つは、前述したような道場で夢見たロマン。僧侶と生活者としての配分と言ってもいいだろうか。

チケンは成分的に僧侶が多め、リュウギョウはその逆である。


チケンの疑団は、羅睺である出自と、子息の食物アレルギーにあるようだが、彼はそれを、道場でインストールしたプログラミングで演算する。


実はここに、娑婆世界おいて彼に対するニーズの一致と不一致があるようにも感じる。

特に家族にとって不一致の場合が多いのは当たり前で、それは道場のプログラミングが「出家」を基盤にしているから。


やがてチケンは遊学のため、青山老師との独参や太白山天童寺への拝登を果たす。

そして、ある意味アニミズム的な言語と方法を獲得していくのだが、彼の遊学そのものが住職地で留守を守る家族や檀信徒にとっての「正解」かどうかは、正直分からない。


「持つ者」として描かれいるチケンではあるが、筆者には、彼はやや「浮ついている」ようにも映る。身の回りに起きていることと、彼の実際の対処との間にやや「飛躍」を感じるのだ。

彼もそれをどこかで自覚しているから、裸足で大地を歩くのだろう。浮つきそうな自己を、感覚的に、今いる場所に繋ぎ止めようをしている。

それなのに彼が、エンドロール直前で『バガボンド』(漂泊者の意)に触れるのには、少しヒヤッとさせられる。

そんな彼の「浮つき」を知ってか知らずか、彼を取り巻く人たちは、基本的にはチケンが遊学することを許容している(ように思われる)。


それに対してリュウギョウは何も許されていない。

自分ではどうしようもない無常に翻弄される被災地の生活者として、日々の暮らしに追われている。浮つきようにも浮つけないから、手っ取り早く軽口を叩いたり、泥酔したりする。

そんな日常の先にあるかすかな夢、それが被災した寺院の再建だが、彼にはそのきっかけすら、与えられることはない。

もしかしたら、一度は夢見た道場でのロマンが、リュウギョウには「呪い」だったのかもしれない。


そしてもう一つは、「全曹青としてのロマン」。全曹青としての組織構造のメタファーだ。


映画の製作当時、主役を演じた二人は全曹青の会長、副会長だった。つまり、全曹青で活動することが許容された人たちだ。

一方で青年僧の中には、形式的に加入はしていても、全曹青の活動を、自身とは縁遠いものと受け止めている者も少なくない。


筆者も出向する以前は、全曹青に対してあまり良い印象がなかった。権威主義の団体だと思っていたから。

しかし朱に交われば赤くなる、出向期間中に多くの勝友と交わる中で、自然と全曹青としての「大志」を抱くようになった。


そんな中で、地元の青年会仲間から「(時間も経済的にも)余裕があるんですね」とか、「自分たちだけが立派なことをしているなんて思わないでください」とか、心底がっかりするエールを受けたことがある。


そして退任する際には、妻は「ホッとした」と心情を吐露していた。

出向中、時間もお金も心の余裕も、その多くを全曹青に割かれた生活で、妻にとっては、肝心な時や頼りたい時に近くにいない、活用した実感はないのに家計が逼迫する、といった忸怩たる思いを封じ込める日々だったのだ。


当時、筆者はそのことを、よく自虐して、「オトコのロマンは、オンナのフマンなのだよ」と漏らしていた。


(誤解がないように言っておくと、全曹青の活動に対しては、全額ではないにしろ、本会や所属の地方曹青会などから、相応の助成金が支給されている。出費が嵩んだのは、単に筆者の自助努力が足りなかったからだ。またがっかりエールを受けたのも、単に筆者に人徳がないからだ)


このように全曹青とは、同心円の内と外で濃淡が大きい組織の構造を持つ。

出向者や執行部はロマンを抱くが、周縁にいる人々のほとんどは、雲を掴むようなロマンでは腹が満たされるはずもなく、目の前の生活に注力する。まるでリュウギョウのように。

逆にチケンは全曹青の出向者を象徴したキャラクターのように受け止めた。かつての筆者のように。


この映画がそういったメタ構造が意図的だったとしたら、組織広報として極めて高度と言える。


筆者が耳にした中で最も感慨深かったのは、実はカンヌではなく、非加入曹青会の主催による上映会が開催されたと聞いた時であった。その時に、「これは私たちとあなたたちの物語でもあります」とか言えたら、なんてカッコいいのだろうとは身悶えするのは、いささか独善と妄想が過ぎるだろうか。


 祭りの後に

この映画をして、「全曹青のプロパカンダ」と評する声も聞くが、それが本当かどうか、実際に当事者の話を聞いてみるといい。

そもそも『空族』は海千山千の表現者、クライアントの太鼓持ちをするようなプロダクションではないと思う。


裏話でおもしろかったのは、当初『空族』側が提案したプロットでは、僧侶が高級車を乗り回すシーンがあったそうだ。

それを受けて、全曹青側も実際に高級車を調達したらしいが、両者の交流が深まるにつれ、『空族』の方から、このプロットの変更を申し入れ、リュウギョウが軽トラに乗ることになったのだそうだ。

単なるプロパカンダなら、こんな感応道交はあり得ない。

「大衆教化の接点」を実現したのだ。


これまで縷々述べたように、筆者はこの映画に大変感銘を受けた。

そしてカンヌ映画祭での上映という偉業も果たした。倉島師の宿願であったことと比べて矮小な感想だが、まさに「カンフル剤」としては、今後も比類ないような成果をあげた。


筆者は気になるのは、この映画の「今後」についてだ。


かつて筆者が全曹青広報委員長の時に「曹洞禅を物語に」という特集を、広報誌で組んだことがある。今からおよそ11年前のこと。その時に副委員長として会務を支え、筆者が投げ散らかした「やりたいこと」の後始末をしていたのが、倉島師だった。


真に価値があった事業というのは、そのほとんどが継続事業となって、事業体としての全曹青の屋台骨を支え続ける。

ではこの映画は、今後全曹青にどのような「資産」を残すのだろうか。

映画というメディアは、PRが功を奏して上映当初はよく回転したとしても、本当に内容が評価されなければ、すぐに世間から忘れ去られやすい。その価値を維持する仕掛けがあるのか。


またあまりに大きな事業だったため、組織としてもかなりの無理がたたっていないか、老婆心は尽きない。


その点において、倉島師から会長職を引き継いだ原師は「稀代のバランサー」なので、こういう派手な事業の後処理には適任であったことだろう。任期は残りわずかだが、地元選出の会長の手腕に期待して、この稿を閉じます。大変お疲れ様でした。合掌(住職 記)


宗淵寺/願興寺

島根県松江市にある曹洞宗寺院・臥龍山宗淵寺と、境内に奉祀されている出雲観音霊場第二十三番札所・新美山願興寺からのお知らせや山内行事の報告、さらに住職や寺族、檀信徒の日暮らし、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつづっています。

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