映画『典座ーTENZOー』の感想②

以下は前稿からの続き、全曹青の(不束な)元職としての観点を加味して感想を続けます。


電話相談のシーン

この映画に全く批判がないわけではない。特に「電話相談」のシーン。

もしあれが、『観世ふぉん』を下敷きにしているならば、フィクションパートと言われても、筆者にとっては許容範囲を超えている。手法も状況も、換骨奪胎どころか、実際との乖離が大きすぎる。


監督の富田克也氏は「傾聴だけではなく、僧侶自身の言葉が必要」と述懐されてたが、それは設立当初からの『観世ふぉん』の運営方針に反する態度だし、そうなるともはや「相談」ではなく、「辻説法」だ。仮に僧侶の言葉が必要なら、別の場面設定が必要だったのではないか。


現在、『観世ふぉん』はNPO法人として全曹青から独立しているとは言え、未だに切っても切れない関係であり、代表の安達瑞樹師は、映画の製作当時に全曹青の顧問だったから、何かしらのお伺いや確認はあったはずで、もしかしたらその点も『観世ふぉん』の運営サイドとしても許容しているのかもしれない。

ただ、あのシーンが『観世ふぉん』の電話相談シーンが下敷きと認知されているならば、それは全曹青として「大きな嘘」を拡散していることになる(但し、劇中では『観世ふぉん』の名詞は使用されていない)。


フィクション・ノンフィクション綯い混ぜの作品構造の危うい点であるが、それでも「電話相談」の描写に拘ったのだとしたら、筆者は下記の理由が大きいと思う。


全曹青としての「大正義」

そう言いつつも筆者は、全曹青が今回のような映画製作の事業に取り組むことは使命であり、正当であり、「大正義」だと受け止めている。時には「毒」にもなる覚悟で、「派手」なカンフル剤が必要な団体なのだ。


「全国曹洞宗青年会」という看板を掲げているが、この団体に宗門の青年宗侶が皆加入しているわけではない。

元々は、有志によって立ち上げられた宗門の外郭団体であり、現在は、各地方で結成された曹青会による団体加入と個人加入による会員で構成されている。

言い方を変えれば、加入するかしないかは、地方曹青会や個人の自由意志である。

そのためか、特に関東を中心に加入していない地方団体も少なからずあり、歴代の全曹青執行部は、これら非加入団体への加入に向けた働きかけが「必須科目」なのだ。


その際によく使われる誘い文句が「スケールメリット」。

つまり、包括団体として加入する「メリット」を設定し、それをエサにして、如何に非加入団体を振り向かせることができるかが「必須科目」における「宿題」だ。


そして有志の外郭団体である以上、自主財源確保の努力も求められている。頒布事業や賛助費の勧募がそれに当たる。


曹洞宗宗務庁に対しても、外郭団体として助成金を支弁して頂いている以上、会務の実績をアピールし続けなければならない。実績が上がらなければ、助成金減額の口実を与える。


そのため全曹青は、宗門内に対して、常にその名前を意識させ続けなければならない。


そして宗門外に対しては、結成当初から全曹青が掲げるキャッチフレーズがある。それが「大衆教化の接点を目指して」である。


これは教条主義や下化衆生ではなく、青年僧の方からあらゆる方便法を駆使して世間にアプローチする態度で、簡単に言うと「やる気があるなら、そっちから来い」ではなく、「なんでもやります。そちらの輪に入れてください」である。

「禅僧」を名乗る人たちの多くが、得てして前者を美学と見なす中で、後者の方法論を追求するから、全曹青は独自性があり、価値がある。

そのためにも、今度は一般社会に対しても、全曹青の名前ができるだけ人目につくように尽力しなければならない。


これらを一挙に満たすために、全曹青はこれまで派手なカンフル剤というべき事業に取り組んできたのだ。

例えばそれが、東大寺の千僧法要(現在の主催は全日本仏教青年会などだが、立ち上げ当時にこれを主導したのは全曹青)だったり、電話相談事業『観世ふぉん』だったりする。また結果論ではあるが、災害ボランティアによる大きな実績も、この点に大きく寄与している。


全国から集まった青年僧侶による情報交換や親睦、サロン活動だけでは許されない。事業体としての実績がどこまでも問われる団体なのである。


そのような歴史の中で、全曹青は「文化事業」にも着手してきた。そして、一般映画を上映するという話も、私の聞く限り、企画としてはいくつかあった。

しかしこれまで、全曹青が一般映画を製作して上映したという実績はなかったはずだ。


その点において、今回の映画は全曹青積年の「夢」と「責務」を具現したものだ。


また映画の舞台として、電話相談、東日本大震災の復興支援といった、これまでの全曹青の活動が設定されている。


そしてこれは、倉島師から直接言質を取ったことだが、今回「宗門を代表する人格者」「ラスボス」として青山俊董老師に出演を依頼したのは、自身もかつて籍を置いた広報委員会において、歴代にわたって取り上げられてきた「宗門内のジェンダー」に対する問題意識が起因しているのだそうだ。


これらのことから、この映画は、倉島会長期の短期決算ではなく、全曹青設立から四十数年の歴史における、ひとつの集大成ともいえる内容の作品だと、筆者は受け止めている。(またしても、続く)〈住職 記〉


宗淵寺/願興寺

島根県松江市にある曹洞宗寺院・臥龍山宗淵寺と、境内に奉祀されている出雲観音霊場第二十三番札所・新美山願興寺からのお知らせや山内行事の報告、さらに住職や寺族、檀信徒の日暮らし、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつづっています。

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