東日本大震災〜絆の持つ光と陰〜
平成23年3月11日に発生した東日本大震災から丸2年が過ぎました。仏事でいう三回忌(丸2年)には、「服喪を明け、日常生活へほぼ復帰する」という意味があると言われていますが、それは被災地にとっては「震災の風化」に直面することも意味するでしょう。
本稿では、東日本大震災のボランティア活動に従事してきた副住職が、風化できない被災地での教訓を紹介します。
大震災の、その日から
発災の日、私は全国曹洞宗青年会(以下、全曹青)の会議のために、東京都港区芝の曹洞宗檀信徒会館にいました。
東京は震度5強、私は反射的に会議室から建物の外に飛び出しました。しかし路上のアスファルトでさえ激しくうねっていることに戦慄し、あらゆる生存それ事態が所在を失うのではないか、という恐怖を覚えました。
都内は帰宅困難者で溢れ帰り、騒然とした街中はまるで野戦病院のよう。会議には東北の方々も多く出席していましたが、地元の状況が分からず、不安に駆られる彼らを見ていると、私だけ、翌日には平穏な我が故郷・島根に帰るのが、何だか申し訳なく思えたのを覚えています。
当時、全曹青の広報業務に携わっていた私は、帰郷すると即座に、全曹青の災害メーリングリストに寄せられる被災地内外からの情報を確認し、全曹青のホームページに転載し公開する作業に明け暮れました。分単位で情報が錯綜する大変な作業でしたが、「今の私のできるせめてものことをしよう」と、遮二無二作業しました。
震災直後、情報は重要な財産だった一方で、デマも横行していました。全国的な節電を呼びかけるメールが一斉送信されたことがありましたが、直後の願興寺観音講の恒規法要で何気なくその話をすると、中国電力に勤務されていた信徒の方から、「西日本と東日本では周波数が違うので、西日本で節電しても東日本に送電はできない」と教えて頂き、いわゆる「チェーンメール」であったことが発覚して、即座に全曹青のメーリングリストに事実関係を反映させたこともありました。
ただ、原発事故直後に福島の僧侶から「地元に情報が伝わらない。全国ニュースではどう伝えていますか?」という質問のメールを受けた時は、どう言えば彼を安心させることが出来るのか分からず、ただただ言葉を失いました。
地域の拠り所を取り戻す
その後、5月になってから被災地に入ってボランティアに従事しました。仮設住宅で避難生活をされる方々の傾聴や、被災箇所の復旧が主な活動でした。
その際に、宮城県山元町の普門寺さまというお寺の復旧のお手伝いをしたことは、以前の『がたぴし』や観音講の機関誌『どうぎょう』でも少し紹介させて頂きましたが、灰燼に帰したかのような境内で、ただ黙々と、倒れたお墓を起そうと作業に没頭するご住職の姿が、未だに目蓋に焼きついています。
「震災直後はさすがに落ち込んだが、今はもう前を向く他ありません。お檀家さんたちにとってお墓とは、ご先祖のみならず、いずれは自分たちも行く場所。しかし現世で震災に遭い、来世の安住も失われた、と落ち込むお檀家さんの姿を見ていると、とにかくお盆までに墓地を復旧し、地域の〝心の拠り所〟としての寺院の姿を、一刻も早く取り戻したいのです」。
ご住職のひた向きさは、地域や檀信徒に支えられた寺の「住職」(文字通り、住み守るのが仕事)としての矜持そのものでした。
絆という「陰」
全曹青が現地本部を置いた福島県伊達市霊山町。その町内にある小国地区は、福島第一原発の事故を受けて、「特定避難勧奨地点」が設定されました。
昨年の3月、現地本部でその小国地区の住民の方のお話をお伺いする機会がありました。しかし今度は、そのお話から被災地の「負の現実」を突きつけられました。
「特定避難勧奨地点」とは、年間の積算放射線量が20ミリシーベルトを超えると推定される場所を世帯単位で指定し、避難を勧めるというものです。
行政によって、世帯単位という「点」で補償対象を切り分けられた小国地区で何が起こったか。それは地区内の「断裂」でした。
指定された世帯には、他の避難区域の住民と同じように、精神的な損害賠償として東電から1人当たり月10万円が支払われ、また税の減免もありました。
一方、未指定の世帯は1人一括8万円(妊婦と18歳以下の子どもは40万円から60万円)の賠償金のみで、指定世帯が受けた減税措置もありません。このことで、例えば、指定された世帯の方が買い物をするだけで、「賠償金で贅沢な生活をしている」との噂が飛び交うなどして、地区内には住民同士の疑心暗鬼が渦巻いたというのです。
また、実際に他県へ避難した方々が、福島に残る選択をした住人から「自分だけ逃げた」との誹りを受けているとも聞きます。
地域の絆によって強い相互扶助が働く「地縁社会」では、その「横並び」のルールを乱そうとした時、反動もまた強いのです。
ボランティア活動を通して知り合った福島市在住の女性がこのように言っておられました。
「私には娘がいますが、年頃になると〝福島の人間とは結婚できない〟という、心ない差別に直面するのではないか、という不安が拭えません。福島の苦難は現在進行形なのです。でも今に至り、何ごともなかったかのように原発の再稼働が取りざたされ、時の流れとともに、〝福島の思い〟は取り残されていくように感じます。震災直後から、〝絆〟という言葉が声高に唱えられていましたが、福島の人たちは、「その〝絆〟の中に、自分たちは入っていない」と、白々しささえ感じていますよ」。
〝絆〟という字を辞書で調べると、「犬や馬など動物をつなぎ留めておく綱」に由来し、転じて「しがらみ」という意味があることが分かります。
平時においては、私たちにとっては〝絆〟の光の面しか作用しないし、見ようともしないのかもしれません。しかし状況が一転すると、同じ〝絆〟が、人々に互いの足を引っ張り、傷つけ合う原因となる。大自然の摂理によって露になった〝絆〟の持つ光と陰を、特に福島と同じ原発立地に暮らす私たちは、教訓としてよく銘記しなければならないのではでないでしょうか。<宗淵寺寺報『がたぴし』第13号所収>
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