家族葬と流れ焼香について


「人間は社会的な動物である」(アリストテレス)


かつてコロナ禍で、人流が制限される中で伸長した「家族葬」と「流れ焼香」を組み合わせた葬儀の方式。当時としてできる範囲で地縁によって故人を送る、真摯な叡智による落とし所でした。

しかし「密」を避けなくても良い生活が戻った今でも、この方式は続けられています。

これは以前から潜在していた社会的需要(核家族化や、社交儀礼の減退など)が、コロナ禍をきっかけに「大義名分を得て」定着したとも言えましたので、「風習や礼法は世につれて変わるもの」だとも思って、これまでは静観していました。


しかしこのままでは、真摯なコロナ禍での叡智が、惰性による「弊習」となりかねない。これからも葬儀が「弔いの場を調え、生死を超えてご縁を切り結ぶ機会」であることを守るため、各方面への要望を、以下に列記させていただきます。

 ①「流れ焼香」の名称は、「式前(式後)焼香」に改めてください。

 ②式前(式後)焼香は時間厳守でご会葬ください。

 ③例え「家族葬」だとしても、家族だけで行うことにこだわらないでください。



①「流れ焼香」の名称は、「式前(式後)焼香」に改めてください。

【理由】「流れ」という言葉が適切ではなくなったから。

【対象】檀信徒と葬祭業社

【解説】コロナ禍では「人流が停滞しない=流れる」ことが必要でした。他の多くの地域で家族以外の会葬が見送られる中、当地では知人や地縁による会葬の場を「本葬とは別」に設け、「流れ焼香」と名付けられました。これは以前からあった、式場規模で収容しきれない大人数の会葬者への対応を転用したものでした。

しかし今となっては人流が「流れる」必要がなくなりました。それどころか「流れ」という言葉の別の、「略儀でなんとなく済ます」という軽薄な意味すら帯びてきたように感じます。

コロナ禍という緊急事態にやむを得ず黙認せざるを得ませんでしたが、そもそもが僧侶にとっては「本葬と一般焼香が分離する」こと自体、実は受容し難い方式です。例えると、会葬者が「本番」である本葬には出ずに、本番前の舞台装置だけ見て帰ってしまうようなものだからです。

今に至ってもこの方式が残ること自体は仕方ないとして、葬儀の厳粛さを失わせるような意味を是正するために、今後は「流れ焼香」という名称を、「式前焼香」または「式後焼香」と改めてください。


②式前(式後)焼香は時間厳守でご会葬ください。

【理由】喪主や葬祭業者が対応する場面が増えるから。

【対象】地域の方々、一般会葬の方々

【解説】前述の通り、式前(式後)焼香は本葬の式中から一般焼香を独立させた方式です。それはつまり本葬とは別にその分の時間が加算されるということです。

例えば午後2時からの本葬に式前焼香を午後1時から30分間設けた場合、喪主と葬祭会館は午後1時から会葬者の対応します。会葬者がさらに早い時間に来場すると、予定時間を前倒しになり、さらに時間が取られることになります。

また、一般葬では「喪主挨拶」は不特定多数に向けてできましたが、式前焼香(流れ焼香)では喪主が会葬者と個別にやり取りをすることになります。

ある程度の所要時間内でまとめて対応ができたという意味では、家族葬より一般葬の方が「機能的」ですらあったとも言えるのです。

コロナ禍以降の式前(式後)焼香においては、一般の会葬者にとっては喪主が事前案内した内容と時間を守ることが最大限のマナーとなり、喪主と会館の対応時間を減らす配慮となります。

指定の時間以外には焼香はできないし(特に、過度に早く来場することは謹しむ)喪主の対応も得られない(弔意や香典は受付や第三者に託すことになる)、喪主の意向によっては本葬中の一般焼香のみで式前・式後焼香自体が設けられない場合もある(その際にくれぐれも本葬以外での焼香を所望しない)、と心得てください。


③例え「家族葬」だとしても、家族だけで行うことにこだわらないでください。

【理由】 ・「家族葬」の定義が曖昧

      ・家族でなくても故人を弔いたい方がいる

【対象】喪主と親族

【解説】 家族葬は一般葬に対して小規模な葬儀を指す言葉で、その割合は時代とともに徐々に均衡していっていましたが、コロナ禍で完全に両者の割合が逆転しました。(参考:鎌倉新書 【第6回】お葬式に関する全国調査2024

ただし、一口に「家族葬」といっても様々な方式があります。

これは人によって「家族」の指す範疇が異なることが大きな理由です。(「家族」は旧民法では定義されていましたが、現民法では直接の定義がありません。極論ですが、現代ではペットも「家族」とみなす場合もあり得ます。)


コロナ禍当初に喪主より「家族葬で行います」と伺った時、せいぜい参列者は数名だろうと思い、「導師一人でお勤めします」とお答えしたことがありました。

しかし実際に本葬に行くと、想定より随分多い参列者がいて驚いたことがありました。

「家族葬」の認識に、喪主とも葬祭業社ともそれぞれ、大きなズレがあったためでした。

「一般葬」と「家族葬」は、内容によって下図の通りに分けることができます。

以前の「家族葬」は、上図の③か④の場合を指すことがほとんどでした。それがコロナ禍を経て①や②も同様に称されるようになりました。 


実際に、現行の家族葬では15名前後の参列者が一番多く、「同居家族」だけでこれだけの人数になることはありません。これに親族が加わる場合がほとんどです。

さらには本来の密葬にはなかった一般会葬の対応(式前・式後焼香)があることを踏まえると、現行の家族葬を定義は、「規模の大小に関わらず、家族が(喪主として)主催し、式中に一般焼香をしない方式」だと言えます。


またよく聞くのが「本葬に参列したかったけれど、家族葬と聞いて遠慮した」という、故人と昵懇だった方の話です。また家族葬を理由に事前の弔事報告が周知されず、後から人伝に聞いたという話もよく聞きます。

葬儀における喪主の大切ば役目は、自身のグリーフワークに加え、生前にご縁のある方々の未練が生じないよう「弔い(告別)の場」をととのえることです。「家族」という言葉が盾となって他を排するようなことになってはいけません。


(蛇足ですが、よく有名人の訃報に「近親者のみで葬儀を行いました」という事後の周知がありますが、実際には後日、知人主催による「お別れの会」が催されていることが大抵です。一般でも家族による弔辞報告が不十分だったため、葬儀に参列できなかった知人が中心となって、葬儀とは別に「お別れの会」が行われるケースがあります。決して家族だけが故人との別れの場(葬儀と告別式)を必要としているわけではない点は、よくよく銘記するべきです。)

そこで当寺としては、家族葬かどうかに関わらず、喪主に対して

  • 故人と昵懇だったまたは希望者など、家族以外でも本葬にご参列いただくこと。
  • 本葬の参列者が15名以上の場合は脇導師をお呼びすること(規模に適して)。
  • よほどの理由がない限り、自治会や広報機関などによる弔事報告はすること。
  • 弔意弔問は可能な限り受けて(妨げないで)ほしいこと。

以上を事前に確認し、お願いしています。


生前の故人の関係性にも濃淡があります。

式前(式後)焼香の対象は、故人にとって「社交儀礼的関係」に当たる方々だと思ってください。


実際には死別すぐに悲嘆にくれて、またこれまでの経験や準備が足りないことで、上記のような場作りが十分にできないこともあるかもしれません。

それでも葬儀は、故人の余徳に見合う適切な段取りと規模が必要で、不適正に小規模にすると、喪主や遺族にとって後からしわ寄せが必ずあることを、くれぐれもお含み置きいただきたいと思います。


長年お弔いとグリーフワークに深く携わるお寺としての経験からのお願いです。

「我は良医の病を知って薬を説くが如し。服すと服せざるとは医の咎にあらず」(仏遺教経)

宗淵寺/願興寺

島根県松江市にある曹洞宗寺院・臥龍山宗淵寺と、境内に奉祀されている出雲観音霊場第二十三番札所・新美山願興寺からのお知らせや山内行事の報告、さらに住職や寺族、檀信徒の日暮らし、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつづっています。

0コメント

  • 1000 / 1000