樹木葬は自然葬?
「堆肥葬」という未来の選択肢
先日の山陰中央新報に「『葬送』転換期 高まる自然志向」(リンク先は前文以外有料)という記事が掲載されました。広告を除けば、ほぼ1ページの紙幅ですので、かなり力の入った記事ではなかったでしょうか。
「葬送の自由化」が唱えられて久しく経ちます。
今回の記事のような「家墓一択」から転換して自然葬など葬送の選択肢を増やす、という論旨は以前からあり、むしろ今回の記事中の『ハヤチネンダ』さんの活動は、古来から日本にある「自然を信仰対象とする」流れに回帰するものだとも言えます。
そんな中で今回目新しかったのは、松本紹圭さんが紹介された「堆肥葬(ヒューマンコンポスティング、コンポスト葬)」というワードでしょうか。
(参照「カプセルの中で自分の体を30日かけて腐らせ堆肥に」/PRESIDENT Online/著者:鵜飼 秀徳氏)」
ただしこれも、記事の中で松本さんも仰っているように、(日本での)現行の火葬から堆肥葬に直ちに移行すべきという急進的な話ではなく、今の時点では「そういう選択肢もあり得るかもしれないから、知っておくといい」という程度の話でしょう。
例えば散骨は、随分前から認知度も潜在的なニーズもそれなりにあると思いますが、実際に実施されるケースは決して多くありません(葬送全体の1割以下)。(参照「2024年 お墓の消費者全国実態調査」)
堆肥葬も同様に、どちらかと言うと「意識高い系」という印象で、インフラ整備も含めて、実現や選択のハードルは決して低くなく、将来の一般的な選択肢としてどこまで浸透するかは、現時点では不透明です。
蛇足ですが、ある檀信徒の方が面白いことを仰っていました。
江戸時代の日本は今より社会が循環型でしたが、特に大工の家の肥溜めが珍重されていたそうです。なぜなら当時の大工は豪放磊落な人が多く、「宵越しの金は持たねぇ」とばかりの勢いで飲食していたため、その排便も栄養価が高かったからだと。
精子バンクでも見られる様に、もし堆肥葬が伸長したとして、その時には栄養価の高い(肥満の)ご遺体が好まれ選ばれるという、「人道的か否か」が問われるケースも出てくるかもしれません。
「樹木葬」ではなく「ガーデン葬」
さて、むしろ今回の記事で私が注目したのは、松本さん文章の中に「見せかけのような樹木葬」という一文があったことです。これは私も、常々感じていたことです。
先の「実態調査」からも分かるように、ここ数年で新設で最も選ばれているのが樹木葬で、2020年には一般墓とシェアが逆転し、2023年には過半数を超えるなど急進しています。
その樹木葬が「見せかけ」とはどういう意味でしょうか。
以下はあくまでも私の個人的な見解で、現在運営されている樹木葬の業務を圧迫する意図はありません。
日本初の樹木葬は岩手県一関市で始まったとされ、当初は山地での埋葬場所に一本ずつ樹木を植え、それが増えることで里山として再生して自然を保護していくというもの(里山型樹木葬)でした。
一方で現在シェアを伸ばしている樹木葬はそれとは異なった形態です。
シンボルツリーの周りにカロートをいくつか掘って埋葬するもので、ある程度人為的に整備された場所で行われています。個人的にこの形態を、樹木葬ではなく「ガーデン葬」(ガーデン型樹木葬)と呼んでいます。
私はこのガーデン型について、主に2点の疑念があります。
一つには「自然に還る」というイメージが正しいかどうかの問題です。
墓石葬でなく樹木葬にすると「ご遺骨が土中で分解されて自然(土)に還る」と仰る方がいますが、実際は少し違うように思います。
これは墓石業者さんに聞いた話ですが、自然土の中でカルシウム質であるご遺骨が完全に分解されることは難しい(相当の時間がかかる)とのこと。「大森貝塚」を思い出していただくと分かりやすいかもしれません。
それでも土葬だとバクテリアの繁殖で分解が進むことがある様ですが、火葬されたご遺骨が分解されることは、ほとんどないらしいのです(地質条件にもよる)。
粉骨という手段もありますが、以前見学した散骨の島・カヅラ島でも粉骨して散骨されたご遺骨の粒子が(濃淡はありますが)白く残っていました。
いずれにしても、現在最も選ばれているガーデン型の樹木葬で「自然に還る」というのは人それぞれの受け止め方、つまり「イメージ」に依り、実際には「自然循環型」の葬送とは言えないのではないでしょうか。(個人的に、究極の自然葬はチベットの鳥葬だと思います)
つまり墓石がシンボルツリーに代わった、文字通り「シンボル(墓標)」の違いだけで、形態としては従来の墓葬と大差ない言えます。
そして最も大きな疑念が「承継(者)が不要」は本当か、です。
「承継者が不要だから」を理由に永代供養付きの樹木葬を選ばれる方は相当数おられるでしょうし、実際に物理的な墓石自体の管理や承継は必要ありません。
しかし、現在の樹木葬の大半は(里山型ではない)ガーデン型です。つまり埋葬される場所であるガーデンなり霊園は永続的に維持管理される必要があります。実際は業者なり宗教法人がこれに当たります。また永代供養した後でも、同じく業者や宗教法人が供養を承継することになります。
つまりガーデン型の樹木葬は、血縁者以外に供養の権利(祭祀権といいます)を託すだけではなく、「費用」なり「永代供養料」なりの名目で経費的に「先払い」することで、墓地の維持管理も他者に託して公益性をウヤムヤにしていることが大きな問題だと、私は見ています。
(その点のみだけならば、管理責任が明確な家墓の方が真っ当だとすら言えます。)
それでもガーデン型樹木葬が「選ばれてNo. 1」なのは、それだけ祭祀権承継に不安があるからで、家墓が供養における唯一の選択肢ではその不安は払拭されない、という事実は真摯に受け止めなければなりません。
大切なのは、家墓も自然葬も含めた選択肢に多様性があること。
今回、私はガーデン型樹木葬を批判的に書きましたが、現実に目の前の誰かがそれを選択した場合に、たとえ自分と違う価値判断だったとしても、その選択をした相手を受容し尊重したい。
その意味でも、お寺が基盤としていた従来の供養の前提が、今後益々緩んでいくことだけは、覚悟しなければならないと思います。(住職 記)
0コメント