幼霊の供養
観音堂(願興寺)の向拝横にある「童仏尊像」。
かつては水子とも呼ばれた、幼くして亡くなった精霊の供養として、平成24年に安置されました。
この仏様を安置した経緯について、かつて住職はfacebookで次のように説明しています。
一般的には誕生仏と言われる形像ですが、縁有って、東京の茶・花道具屋さんにあったものを当寺に将来しました。
以前、我が子を亡くした際、当寺には水子や幼霊供養のお像がなかったため、各所に札打に回りました。その時に目にした幼霊供養のお地蔵さんや観音さんの形像が、私にはあまりしっくりこなかったのです。私が見たお地蔵さんや観音さんには、亡くなった子等が憐れみを請うように、その足下にすがった姿が象られていました。まるで自力では成仏出来ないようでした。
その昔、子が親より先に行くことは親不孝であり、成仏出来ずに賽の河原でその報いを受けるとされていました。その名残なのは分かります。そしてその形像を、いままで私も普通に見過ごしていました。
実際に自分が子に先に逝かれると、この構図があまりにも辛いものであることがよく分かりました。子ばかりでなく親にもその咎を責めるようでした。「だから供養しなさい」というのでは、あまりに強迫的ではないか。
子が亡くなったことを不幸であり不孝とするのは、親である私の勝手な都合であり、ただの「レッテル」です。
我が子は何も計らうことなく、ただ天命に基づいて息づき、そしてただ逝った。
その生死の有り様から、私たち夫婦はとてつもなく痛い「学び」を与えられました。
私たちにとって、我が子は決して憐れみを請わなければ報われない存在ではありません。
子であり、学びの師であり、そして仏そのものでした。
一般的には釈尊の誕生を祝う形像である誕生仏を、「童仏」名付けて開眼したのは、生まれながらにして、幼姿にしてそのまま仏であることを示す誕生仏の由縁、釈尊の威徳にあやかるためです。
当寺観音堂のご本尊は「子さづけ観音」と別称されていました。
その御前に、図らずも夭逝した幼い御霊を供養する形像を安置することで、生死ともに相等しく荘厳する、そんな伽藍になった思います。
「童仏尊像」は、元々はとある有名な作家の習作だと言われていますが、しまい込まずに、敢えて目に触れやすい場所に安置させていただいています。
住職夫妻と同じように、幼い我が子に先立たれた方々にご供養の対象としていただきたかったからです。
ちなみに住職夫妻の子どもは、出産予定日1週間前の死産でした。それでも戒名をつけて葬儀をし、檀信徒の方々にも多く参列いただきました。中には、50年前にご自身も同じような経験をされて、当時を思い出して涙された方もおられました。
私たちはお寺で暮らしているので、ある程度の知識や判断力があったので手厚い供養ができていますが、一般の方では、戸籍にも載らなかった幼霊のご供養する術をお持ちでない方が多いかもしれません。
子が先に逝くことは、残された親にとってこれほど辛いことはありません。
そんな時は、ぜひ『童仏尊像』にお手をお合わせにいらしてください。
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