ペット・動物供養堂『月虹堂』建立の経緯
『月虹堂』建立の発願文
まず初めに、落慶法要の冒頭でお唱えした「発願文」を掲載します。
ただし、お恥ずかしい話ですが、浅学につき全て独力で起草したものではありません。過去にあったいくつかの同じ趣旨の文意を拝借し、組み合わせたものですので、ご了承ください。
維れ時、令和3年7月17日、茲に恭しく、新美山願興寺の御本尊・十一面観世音菩薩の光伴を冀い、ペット供養の施設「月虹堂」の落慶並びに御本尊「愛憐 馬頭観音」の開眼法会を厳修し、合わせて信心功徳の施主のペットの諸精霊に供養致します。
顧みるに、かつて、ある檀信徒の方から「ペットを家墓に入れたい」とのご相談を伺いながら、その時には前例がなく、墓地管理上の合意形成もなかったこと、また動物の供養についても解釈がまとまっていなかったため、その時はお申し出に添えずご遠慮いただきましたが、そのことが拙僧の心の中で棘のように刺さっておりました。その後も檀信徒宅にお邪魔すると、居間の一角でペットの骨壷を安置されている様子を目にすることも増えて参りました。
「家畜」とも言われた飼い主と動物の関係も大きく変わり、またかつては亡くなると家の敷地内で埋葬していたものが、現代の住宅事情ではそれも難しく、ともするとペットへの弔いが「宙に彷徨う」状況を目の当たりにし、かつての棘傷が疼くように感じられました。
そこで2年前に、地域の方々にとって身近な菩提寺に、ペットを供養する施設が必要だと発願し、寄付を募りながら準備を進めておりましたが、この間、願興寺観音講の世話人、講員各位、宗淵寺の総代世話人各位をはじめ、この事業に協賛し寄付をいただいた皆様のご支援を賜り、並びに、御本尊「愛憐 馬頭観音」を制作してくださった星山剛一様、大雨があったにも関わらず工期を間に合わせ、施工頂いた株式会社丸加石材工業様、有限会社岸本建築様のご尽力により、内外の荘厳全て調い、ここに落慶開眼の慶福を見るに至り、かつての棘は、果たして取れるのでしょうか。
梵網経には次のように説かれます。
「なんじ仏子、常に大悲心を起こせよ。若し一切の城邑舎宅に入りて、一切衆生を見ては、応に唱えて言うべし、汝等衆生、尽く応に三帰十戒を受くべし。若し牛馬猪羊の一切畜生を見ては、応に心に念じ口に言うべし、汝は是れ畜生なり、菩提心を発すべし、と。」
私たちは享け難い人としての身を享け、値い難いみ仏の教えに値い、自らを省み、識り量る智性と感情があります。
猪は野に帰り、鳥は空に帰ろうとします。野生の鳥獣がよく自然の懐に帰ることを知りつつ、その一方でペットとして全うする生涯を思う時、飼い主とペットの、お互いを愛憐する絆、益々深まらずにいられるでしょうか。
願わくは、願興寺の十一面観音が応身された愛憐馬頭観音のご冥護を蒙り、その功徳を巡らし以って、ペットの諸精霊をはじめとした一切有情の諸精霊、発菩提心の善覚を得て、早く六道を脱し、清浄の覚路に至らんことを。
可憐なる容身、微妙なる声 転じ去り転じ来って般若を談ず
島根県松江市東出雲町
願興寺住持比丘 省吾
ちなみに、文中に「絆」とありますが、広辞苑での第一義では「動物をつなぎとめる綱」とあり、そういった意味も含めて、ここでは唱えております。
以後は備忘録と、今後同様の事業をお考えの方への一つの参考として、『月虹堂』建立までの経緯をまとめます。
発願のきっかけ
直接のきっかけとなったのは、「発願文」にもあるように、およそ7、8年前、ある愛犬家の檀信徒の方から、「飼い犬の遺骨を家墓に埋葬したい」とご相談を受けたことでした。
私は、ご自身で管理されている墓土地でもあり、すでに埋葬された故人も愛犬家だったこともあって、お申し出を許可する返答をしようとしておりました。
しかし当時の住職であった師父や総代さん方の受け止め方は、少し違いました。
「人間と動物は住む世界が違う。境内地の外周縁に慰霊塔を建てたらどうか」
「もし隣のお墓に動物の骨が埋まってると思うと、ちょっと気味が悪い」
前者はともかく(詳細は後述)、特に後者について、墓地管理上の事前合意が、利用者の間でなされていないことを重くみて、この時はお断りをすることにしました。
しかしその後も日を追うごとに、私はやはり「ペット供養」の必要性を強くしていきました。
一番の理由は、住宅事情の変化です。
実は我が家でも、師父が幼少期から犬を飼い続きてきました。ただ、飼育の名目は「番犬」でした。
外で繋留し、お供えの残飯を与えていました。昔は寺前の道の路肩も未舗装で草土が露わで、散歩での糞尿も始末する必要もなく自然に還元されていました。亡くなった時は敷地内で埋葬していました。
しかし当寺周辺の環境はこの20年で激変。田畑は住宅地として造成され、往来から草土は消えました。
平成7年当時の当寺。門前が田んぼであることがわかる。
アングルが異なるが、現在の門前。田畑は全て事業所として造成されている。
犬猫が外で飼われることも少なくなり、家でペットと過ごす時間も増えました。親愛の情が湧くのも当然です。そして、林立した住宅地ではペットを庭先に土葬することも難しいでしょう。
そうなると必然的に「ペット霊園」への需要が高まると思われますが、当地からだと近くで20分のところに1ヶ所、1時間弱の場所に2ヶ所ありますが、普段の家墓へのお参りを考えると時間も労力もかかります。
そのためか、檀信徒のお宅にお邪魔すると、火葬だけ専門のところで済ませ、骨壷を居間に祀っているのを目にすることが増えてきました。
そうなると改めて、「人間と動物は住む世界が違う」という見解に、どうしても違和感を抱かずにおれませんでした。
例えば輪廻転生の世界観でいうと、人間道も畜生道も同じ六道であり、そこからの解脱が成仏ならば、人間でも動物でも供養の本質は変わらない、そう考えたからです。
これが私の独見ならば、これ以上取る手立てもありませんでしたが、既知の開明的な僧侶の先輩がすでにペット供養で実績を積んでおられたこと、また世代きっての宗乗家ブロガーの方が、私の疑団に応えるような記事を投稿しておられたのにも(勝手に)励まされ(参照:「人とペットの共なる埋葬の是非について」)、ようやく発願を立て動き出したのが、2017年頃のことです。
ペット供養堂建立までの経緯
その年の、当寺青年会・宗友会の研修旅行で広島に行った時、この時合わせて構想していた(位牌堂を利用した)室内納骨の視察のために、『シエル安佐』さんを見学しましたが、その時の納骨堂の形態(中央御本尊の台座がカロートなって合祀でき、その周りに個別の納骨壇がある)を参考にしたのは、むしろ人の室内納骨ではなくペット供養堂の方でした。
視察から帰ってほどなく、施工をお願いする予定だった工務店の担当者と、近隣の主だったペット霊園を視察しました。
そして、師父や総代さんの他、ペット供養の事業主体として考えていた観音講のお世話をお願いしてる三役さんにお話を持ちかけましたが、その際に問い返されたのが、「ペット供養の需要が、具体的にどれくらいあるのか」ということでした。
実はその時点では、本尊カロートの他に個別壇をおよそ50区画備えた供養堂を計画していましたが、確かにその規模に関して、確固とした根拠はありませんでした。
そこで2018年には、宗淵寺の全檀信徒向けにアンケートを実施。回答率はおよそ半数ではありましたが、大変貴重なデータが取れました。
寺報『がたぴし』2018年8月号
そして何よりも、このアンケートを通して、地域の身近がお寺の一画に、それなりの規模でペットの供養施設があることが重要ではないか、との思いが定まりました。
それから程なくして、それまで我が家で飼っていた犬が亡くなり、我が家では初めてペットを火葬に付しました。
犬好きだった師父が病に倒れて療養生活に入ったこともあり、それ以来犬は飼っていませんが、骨壷は我が家の中で祀りました。個人的な話で恐縮ですが、我が家にとっても、ペット供養堂が必要となったのです。
『月虹堂』に収めた住職の飼い犬・コタツの遺骨
そして当初、火葬の事業も合わせてできないか検討しましたが、犬を火葬した経験を通して、当寺で火葬自体をすることは断念しました。理由は、火葬炉を設置する環境とマンパワーの確保が難しいことと、火葬炉購入の経費が高額だったためです。
2019年には観音講講員と宗淵寺檀信徒に向けて「ペット供養堂建立に関する寄付のお願い」を募りました。
内容は、もともと境内地にあった焼却炉の建屋を改修して整備するもので、目標額を200万円に定めました。今流行りのクラウドファンディングにならって、寄付金の口数に応じた返礼品を設定しました。
返礼品の一つとなったクリアファイル
ちなみに、この事業の主体を観音講にしたのは、先亡供養を執行する宗淵寺とは異なり、純然たる信仰有志の団体である観音講の講員が年々減少し、今後も増加に転じる決定的な要素が見込めなかったため、新規事業によって講員数減少に歯止めをかけようと思ったことと、ペット供養の主仏が馬頭観音であったためです。
およそ1年間募集をしましたが、金額の達成率は、目標のおよそ40%というところでした。
しかしこれを原資として、観音講の特別会計も充当し、建立の事業を具体化することになりました。
義妹夫であった、美術教師で彫刻家の星山剛一さんに本尊制作の依頼をしたのが2020年の3月ごろ。合わせて建立予定地にあった焼却炉と建屋外壁の改修を始めました。
当初はその年の秋頃に供養堂の落慶を、と考えていました。
しかしコロナ禍の影響もあって計画は延びている間に、同時進行で構想を進めていた、位牌堂の納骨対応の方に、宗淵寺の総代世話人の中から「すぐにでも始めた方がいい」との声が強くなり、昨年末、先にこちらの運用が始まりました。現代の供養のあり方が問われているのは、ペットだけではなく人も同じであることを表した事例かと思います。
宗淵寺位牌堂の納骨壇
そのうちに本尊台座のカロートの他、当初予定していなかった建屋内装についても施工をすることになり、より一層荘厳が整いました。
そしてようやく7月17日、『月虹堂』と命名したペット供養堂が落慶しました。
命名の由来は、月が「あの世」の象徴、虹はあの世とこの世の架け橋。特に虹は、「虹の橋」という詩やキーワードが、世界的にペット供養の象徴となっているのにあやかっています。
「生死を分かってしまったペットと、この世で再び出会う場所」
そんな意味を込めました。
落慶法要当日、印象的だったのは、参列した方に「住職の念願がようやく叶いましたね」と声をかけていただいたことでした。
元々は、檀信徒の安心(あんじん)のためというのが発端だったはずですが、それがいつの間にか私の本願そのものになっていたようです。
ペット供養堂とは言っていますが、ペットだけではなくあらゆる動物の精霊を供養する施設にしたいと思っています。(住職 記)
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