「内なる森的」vs ラン活、ニチアサ
内なる森的なもの
最近、なぜかオリンピックの準備運営団体の界隈から、性差別を惹起される事態が続いています。
言うまでもなく、性差別はあってはならないことですが、私自身がこの件で重要だと感じるのは、自身の「内なる森的」なものとどう向き合うか、です。
これまで私が育ってきた環境に、パワハラやモラハラ、男女格差が一切なかったと言われたら、(おそらく)そんなことはないでしょう。それらに私なりに疑問に感じたり、横目に見たり、諦めたり、受け止めたりしつつ、ここまできました。
正直なところ、森さんのように公職を担うことに後ろ向きさがなく、人脈や人望があって、気っ風が良く、責務を全うする(気概のある)御仁が仮に檀信徒にいたら、多少の言動に目を瞑ってでも、総代長とかをお願いすると思います。
そうやって人や環境に適応することは、社会性が養われる一方で、次第に自身が「マジョリティ」に組み込まれて安住していき、マイノリティを配慮しにくくなることを、十分に注意しなければいけません。
曹洞宗が現代的な人権問題の解決に着手したのは、ある国際会議の場で、曹洞宗の代表者が「日本に差別問題はない」と発言したことに、端を発しています。
また未だに、曹洞宗では(いわゆる)尼僧が少ないばかりではなく、意思決定の場にも女性がいない、かなり純度の高い「男社会」です。
「自分に、差別心があるかもしれない」
そういう前提で、全てを始め、言動に注意を払わなければいけないと感じています。
授戒や得度で、初めに「懺悔文」を唱えるのも、そういった精神に基づくものと、私は解釈しています。
あるニュース番組で「性差別」がどうしたら是正できるか、という意見を求められたコメンテーター(お笑い芸人の方でした)が、
「子どもの頃からの教育環境が大事かもしれないですね」
と、コメントしていましたが、私は非常に的を得たコメントだと受け止めました。
そして、私たちに内在しているかもしれない「負の遺産」を次代に引き継がないようにしないといけない、そう感じます。
では、今の子どもたちは、ジェンダーについてどういう教育環境にあるのでしょうか。
私なりにそれを伺い知る事例がありました。それが、「ラン活」と「ニチアサ」です。
現在のラン活事情
幼稚園年中の息子が来春小学校に入学するのに備えて、個人的に〝ラン活〟を始めました。
ラン活とは、要は子どもが使うランドセルを物色することなのですが、「来春からなのに、もうラン活?」と思われる方もおられるかもしれません。
でも昨今はどんどんラン活が加熱の一途で、人気メーカーになると、5月ごろからもう品切れが出るのだそうです。(私も購入熱が加熱の一途)
ひとまず情報収集からと、ネットを検索したり、各メーカーのカタログを取り寄せたりしているのですが、私の時代より色も形もバリエーションが豊富になり、価値の多様性が示されてことが分かります(その分、目移りも多くなりそう)。
それより私が関心を寄せたのが、ほぼ全てのメーカーで、カタログの掲載順が「女の子向け」商品が先ということでした。
私が子どもの頃に、そもそもランドセルのカタログがあったかどうかも覚えていないのですが、でもそれを見て、私の「内なる森的なもの」が囁くのです。
「男の子が先じゃないんだ、へぇ〜」
なぜ女の子向けが先なのか。詳しくは分かりませんが、メーカーなりの思惑があるのでしょう。
少なくとも、私のような「(なんとなく)男の子が先」という先入観や空気感は、今のラン活をする限りでは払拭されているようでした。
そして、まだまだカタログ上の数は少ないですが、ユニセックスモデルがあることも、今の時代らしいと感じました。
ニチアサのジェンダーアプローチ
一応説明すると「ニチアサ」とは、テレビ朝日系の毎週日曜日の子ども番組枠で、8時30分からは主に女の子向けの「プリキュア」シリーズ、9時からは「仮面ライダー」シリーズ、そして9時30分からは「スーパー戦隊」シリーズが放映されています。
男の子向け番組として企画された「仮面ライダー」がシリーズ50周年、「スーパー戦隊」がシリーズ45年を迎える、ともに長寿番組ですが、「プリキュア」も含めたニチアサが、ジェンダーに配意した番組構成をしていることを、『魔進戦隊キラメイジャー』が放送開始した昨年にも紹介させていただきました。
今年、ニチアサのジェンダーアプローチはさらに進んだように見受けます。
まず、先日終了した『ヒーリングっど プリキュア』。
前作『HUGっと プリキュア』では、男の子がプリキュアになる「ジェンダーフリー」を描きましたが、今作でプリキュアは、モラハラを断固糾弾する「屈しないフェミニスト」として描かれました。
実は、日曜日の朝は法事の準備もあって、テレビは点けていてもBGM代わりに見流す程度なのですが(後刻に見過ごし配信などで内容を把握)、上記の引用記事で紹介されているダルイゼンの回は、見流しても耳目が引っぱられる、あまりに強く先鋭的なメッセージに、法事の前から胸がザワつきました。
まさに「Me Too」の影響を体現したプリキュアだった、と言えるのではないでしょうか。
その『ヒーリングっど プリキュア』でメインライターを務めた香村純子さんが、枠内で横滑りしてメインライターを務めているのが、先日始まった「スーパー戦隊」シリーズの最新作『機界戦隊 ゼンカイジャー』です。
まず、現時点でこの作品の主要女性キャストは、主人公の祖母である五色田かえで(榊原郁恵さん)と、「キカイノイド」のマジーヌ(スーツアクターが着ぐるみで演じる)です。つまり、「オーディションで選考された若い女性キャスト」がいないのです。
前作の『キラメイジャー』では、放送中にキャストの女性が多くのグラビア紙に登場するなど、(数的にも印象的にも)女性の占める比重が高い作品でした。
一見すると、『ゼンカイジャー』では女性キャストの比重が減ったようにも見えますが、要は女性に関して年齢や容姿でキャスティングしていない、ということなのです。ジェンダー的には、より成熟したといえないでしょうか。
私が子どもの頃に見ていた「スーパー戦隊」は、女性メンバーは男性メンバーの「サブ」的な扱いで、「ジェンダーロール」に徹していました。
そんな伝統を刷新しようとしているシリーズ45作目の『ゼンカイジャー』を視聴する子どもには、おそらくジェンダーフリーな感性が、自然と身につくのかもしれません。
(余談ですが、数ヶ月後に登場する追加戦士が人間体の女性だと、主人公とほぼツートップのヒロインになると思われ、個人的にはアガりますが、果たして…?)
ラン活とニチアサを通った子どもたちは、きっと「内なる森的なもの」を刷り込まずに育つ。
そんな期待をしますが、さて実際の未来は、どうなるのでしょう。(住職 記)
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