感染症と分断と大仏
島根県でも、新型コロナウイルスの接種が始まりました。
およそ一年まで、このコロナ禍が始まった頃は、私も「ワクチンが出来るまでの辛抱」と考えていましたが、今も心のモヤが晴れることはありません。なぜでしょうか。
「 感染症」は、ウイルスだけではない、と言われます。
たとえ体が健康でも、ウイルス感染症が契機となって、不安や恐怖が伝播する「心理的感染症」、そしてそれが他者への嫌悪・差別・偏見として表出する「社会的感染症」へと局面が変わっていくというのです。
そして今、世相は「社会的感染症」が確実に進行し、「分断」に向かいつつある。私の心が晴れないのは、そう感じているからです。
先日、旧知の方がSNSで、ワクチンの安全性に疑念を示し、「絶対に接種してはいけません」という強いメッセージを発信しておられました。
私にとって悩ましいのは、ワクチンを「打つべき」「打つべきではない」の二元論となった場合、その根拠に、両者とも「副作用」の有無を挙げていること。
前者が「目立ったものはない」としているのに対して、後者は「健康被害が報告されている」と、全く正反対の「事実」が示されているのです。
また私の生活圏の身近にも、「コロナはただの風邪」と公言して憚らない方もおられます。
私自身、コロナを過度に恐れてはいけないとは思っていまが、知見も乏しいため、そこまでの達観はできないし、ましてやそう断言しないのが良識的だと思っていました。
しかし、それまで親しく接していた人と、知らない間に「差異」が生じていたことを見せつけられて、慄然とさせられました。「分断」は、私のすぐ近くまで迫っていたのです。
先日、島根県知事が「現状では、東京オリンピックの開催に反対」、「現状では、東京オリンピックの開催に反対」と表明。Twitterで「♯ 頑張れ島根県知事」がトレンド入りするなど、大きな反響がありました。
それに地元選出の国会議員が苦言を呈されたのは、保守分裂となった先の知事選でのしこりを伺わせるものでした。
聖火リレーランナーの内定者の複雑な心情を地方紙が報じていますし、たまたま先日、イベント会社の方とお話しする機会がありましたが、この方が仰るには「各種のイベントが軒並み中止される中で、聖火リレーはイベント会社にとっても貴重な機会だった。知事は飲食店の補償を仰っていたが、こっちだって苦しいのに、こちらに目が向いていない気がする」と吐露しておられました。
コロナとオリンピックに関わる課題が、中央と地方という単純な対立構造ではなく、県内の生活者の間にも、分断による無数の「ひび」を入れていることが分かります。
このような世情になってから、私の脳裏に蘇った情景がありました。
それは、子どもの頃によく読んでいた歴史マンガで描かれた、聖武天皇の姿です。
全時代通して20巻ほどあるうちの、なぜか奈良時代の1巻だけが我が家にはあり、私は繰り返しそれを読んでいたのです。私の歴史好きの原点が、この歴史マンガでした。
その中で、聖武天皇の御世のクライマックスとして描かれているのが、奈良東大寺の毘盧遮那仏像(通称、「奈良の大仏」)建立の行跡でした。
およそ1200年前の建立当時は、権力争いによる社会の分断、地震など多発する天災、そして何より天然痘の大流行によって、未曾有の社会不安の中でした。
そんな中、大仏建立を発願した聖武天皇は、その詔の中で次のように述べられています。
「三宝の力により、天下が安泰になり、動物、植物など命あるものすべてが栄えることを望む。天下の富や権勢を統べる私の力で像を造ることはたやすいが、それでは意味がない。たとえ1本の草、ひとにぎりの土でも協力したいという者がいれば、無条件でそれを認めよ。役人はこのことのために人民から無理やり取り立てたりしてはならない。」(原文を現代語訳して要約)
天皇の命によって大仏建立の勧進を担った行基は、元々は貧民救護や・治水・架橋を行なっていました。
また、天皇を支えた光明皇后は、施薬院や悲田院を作って、救療活動の先駆けとも言われています。
大きな社会不安を鎮めるために、権力者と社会活動家と医療従事者、そして民衆がお互いの考え方や立場の違いといった「分断」を超え、共に手を取り合って建立され、国民和合の象徴となったのが「奈良の大仏」だったのではないでしょうか。
「感染症」を克服したその先の、目指すべき姿を伝えるため、「奈良の大仏」は1200年以上も人々の前で鎮座し続けている。私はそう受け止めています。(住職 記)
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