災難に逢う時節には・・・
5月中旬、「東日本大震災」の復興ボランティアで東北を訪れた時、宮城県亘理郡山元町のある被災寺院で、ご住職にお話を伺う機会がありました。
ゼロ海抜地帯にあるそのお寺は、地震と津波で境内が壊滅的な被害を受けられました。ご住職は「家族も亡くされ、家も失ったお檀家さんが、壊れた自分の家のお墓を見て更に落胆される。せめてお墓だけでもお盆までに復旧したい」と仰って、朝から夕方まで、ただ黙々と墓地の砂泥をかき出しておられました。私は矢も盾もたまらずに、わずかながらのお手伝いをさせて頂きました。「起きたことを悔いてもしょうがない。これから、これから」とつぶやかれるご住職の、一聴すると前向きとも思えるお言葉からは、妙な語感の「渇き」が感じられました。住職というご自身の立場を全うすることで、本堂も庫裡も津波で流されたご自身の苦境、心の空白を埋めようとされていたと思うのです。
その後になって、福島県南相馬市の93歳の女性が、原発事故の収束を悲観し、「老人は(避難生活の)あしでまといになる」「私はお墓にひなんします。ごめんなさい」と遺書を残し、自殺されたニュースが伝えられた時には、山元町のご住職のことが思い出され、あまりに皮肉で不条理な現実に、いたたまれずに身悶えそうになりました。
その昔良寛さんは、越後地方で当時としては未曾有の大地震が発生した際、友人に「地震見舞い」と称して「〜災害に逢う時節には、災害に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ、災害を逃るる妙法にて候」と書いて渡したのだそうです。
残念ながら私は、とても良寛さんの境涯に近づけそうになさそうです。(副住職 記)<宗淵寺寺報『がたぴし』第9号所収>
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