『お寺の経済学』を読む

2005年に東洋経済新報社から発刊された『お寺の経済学』(中島隆信著)を巡って、宗淵寺檀信徒の小松泰夫さん(山陰経済経営研究所社長 当時)にインタビューしました。(聞き手 副住職)


―今回、この本を読んでのご感想をお聞かせ下さい。

<小松> まず、今の日本社会がどうなっているかというと、高齢化や核家族を背景に地縁や血縁といった地域の絆が弱くなっていますね。物流を都会に集中した方が、効率的で経済 活動には良かった高度成長時代でもありまし たが、今では通用しなくなっています。

 世界成長の中心は、人口規模からして中国や インドなどの新興国に移っており、日本が「一人 勝ち」の時代は終わりました。今までの、明治以 降の手法から転換して、アジアの一員として手を 携えて行かなければ、今後の成長はありません。

 そしてこれからの社会は、地域のことは地域で支えていく流れで、新たな地域の絆が問われているところです。

 そういう流れの中で、今は地方分権が唱えられています。ただ、道州制は地方に中央集権を持ち込むだけじゃないかという異論もありますが。

 そういった、今の日本の情勢を踏まえてこの本を読むと、正しくその構図と同じことが書 いてあるんです。

 人が「(物質的に)豊かになりたい」とか「お金を儲けたい」とかいう「煩悩の世界」と、煩悩を消し去る「仏の世界」は真反対です。特に若い時は豊かになりたいし楽しいこともしたい。そういう時は「仏の世界」からは遠い存在ですが、齢を重ねて経済的にもある程度不 安がなくなれば、今度は周囲へ施しをして協 調するという「仏の世界」に志向が移っていき ます。これはバランスの問題で、人間はその両方持ってないといけない、と私は思います。

 本の中に十善戒(注:曹洞宗では十重禁戒と呼ぶ。殺生の禁止や盗みの禁止など、仏教徒が守るべき十種の徳目)という言葉が出ていました。例えば、その中にある「人に無闇に喋ってはいけない」という戒律は、今日の個人情報保護の観点でしょう。今の社会に何が不足しているか、ということを僧侶が世間に説く ことは大切な仕事だと思います。

 これから、公益法人制度改革が始まります。私も、公の施設・外郭団体の見直しについて検討する島根県の行政改革専門小委員会に関わっていましたが、最終的にそこで何が論じられたかというと、税金を使う公共のサービスは何が狙いなのかを明確にしてメリハリをつけて絞り込み、そこから漏れたものについては、民間の寄付やNPOボランティアが関わ り易くする仕組みです。多様なサービスが収 益性に関わらず目的や効果が上がるように、み んなが支えていく仕組みですね。そこで求めら れるのは、官民一体のコミュニケーションなんです。

 今回は宗教法人は入っていませんが、公益法 人がそういう形になったら、当然宗教法人も同じような尺度で世間から見られると思います。


―檀家制度という前提においては、道州制ではないですが、お寺と檀信徒は比較的狭い範囲でコミュニティ(共同体)を作るわけですよね。そこではコミュニケーションが重要になる。コミュニケーションという限りは双方向、どちらからも働きかけがないといけませんね。

<小松>仰る通りで、そのためには寺檀が支え る「お寺の核」をキチッと絞らなければなりま せん。その意味では、宗淵寺さんで宗友会の若 い方々があれほど頑張ってボランティア活動を されていることは素晴らしいことです。

 それから、宗淵寺のある出雲郷地区というマーケットの話ですが、今は新しい檀信徒さんが結構入ってこられている。その一方で従来からの檀信徒さんもおられますが、新旧の檀信徒さんのお寺に寄せる思いは様々だと思うんです。また、人口の流入も永続的とは考えにくい。出雲郷地区がこれからどうなるか、二十年くらい先を見通して、コミュニケーションを築き上げねばならないのではないでしょうか。


ー本の中で、「植家制度の一つの利点は、コストが下がる」という話がありました。例えば華送儀礼の際に、新規でその都度お寺さんを探すよりも、寺棋がいわゆる「メンバーズクラブ」みたいな契約関係の中でお願いをした方が、色々と障害が少ないとの指摘ですが、どう思われますか?

<小松>葬送儀礼については、人の生き死にに関わることですから、コスト云々っていう対価で物 事を判断するのは相応しくないと思いますよ。


ー今、対価という言葉が出ました。おそらく植信徒さんが一番興味のある話だと思いますが、対価というと具体的にはお布施になると思います。最近は地域社会が希薄になりつつあり、いわゆる因習やお約束事が通り難いのか、「お布施はいくらですか?」と聞かれることが増えました。

<小松>金額を提示すると収益事業になってしまい、非営利団体としての宗教法人の性格に反します。なかなか難しいところですが、例えばお寺との関係が葬儀だけと考えるなら、目安としての金額を提示するのも一案でしょう。でも考えてみれば、 家運だって良い時も悪い時もある。お布施の額は、あくまで檀信徒が最大限自分た ちが良かれと思う範囲でされるべきです。結局、「お寺の核を作る」とはそのことで、「お寺は誰のものか」という論考が本の中にもありましたが、具体的に誰だと特定できないから結局は「仏さまのもの」と書いてありました。つまり「仏さまにお布施する」ということです。例えば、宗教法人の代表役員である住職に払うお金となると、「あそこの住職よりここの住職がいい」という比較でお寺が選ばれ、完全にお寺のガバナンス(統治する仕組み)が損得によって、つまり「受益と負担の割合が公平か」っていう話になってきます。これはいわゆる欧米的な経営の手法で、これだと従来の位数制は完全に覆ってくる。


ー本の中では、お寺はもう檀家制度を止めて、ある意味の競争社会に身を投じるべきだとの提言もありますが。

<小松>マーケティングの観点でいうと、例えば都会ではそれもありかもしれませんが、「熾烈な檀信徒の獲得競争でお寺が成長した」なんて話は、地方では相応しくないと思いますよ。「古くからの檀信さんからの信頼」というベースの上で新しい檀信徒さんを迎え入れるのが、より「日本的」ではないでしょうか。<宗淵寺寺報『がたぴし』第4号所収>

宗淵寺/願興寺

島根県松江市にある曹洞宗寺院・臥龍山宗淵寺と、境内に奉祀されている出雲観音霊場第二十三番札所・新美山願興寺からのお知らせや山内行事の報告、さらに住職や寺族、檀信徒の日暮らし、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつづっています。

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