6/17 願興寺観音講総会のご報告

今月、今日17日は、新美山願興寺観音講恒規法要と観音講総会が開かれました。 


まず、6月の恒規法要をお勤めしました。


その後、今月のご説教。

まず、コロナ禍についてワクチン接種が始まると、世の中の雰囲気が少し明るくなりつつあるように感じる。しかし、世の中には急拵えのワクチンに対する不信感を持っている方もおいでになるようです。当初は接種の予約控えも見られた、という話を聞きました。実際に接種した人の話を聞いてから自身も接種する、という心理が働いたのだとしたら、普通の人でも案外と冷徹で自己中心的なのかと思ってしまいます。


次には、新美山願興寺として計画している『ペット供養堂』の命名についての経過説明がありました。 

 この計画についての説明を行う時に、当初からなるべく使わないように注意していた言葉があります。それは、「愛護」という言葉でした。

仏教に於いては、「愛」という言葉は良い意味では使われない事もあります。渇愛という言葉があります。それは十二因縁の一つで、貪り、執着につながる言葉であるからです。しかし、この度のペット供養堂では、まさにその「愛」をどう決着させるか(ペットへの愛)、というのがテーマでした。


そして飼い主とペットの関係を表すのに「愛」ではなく、「憐」という言葉が使えないかと考えていました。「同類相憐れむ」とも言いますが、「憐れみ」とは「かわいそう」だとか同情ではありません。またペットは飼い主に庇護されるだけの存在ではなく、飼い主もペットから計り知れない癒しを受け取ります。

一方的ではなく互いに慈しみ合うことを表すことは「憐」、だからペット供養堂を「互憐堂」と名づけることも考えましたが、語呂が良くない気がしました。


 最終的には、この度のペット供養堂は「月虹堂(げっこうどう)」と命名したいと思います。

月はあの世に例えられます。そして月にはウサギもいます。そして、虹はこの世とあの世に架ける橋に例えられます。

このペット供養堂にお参りされた時に、愛するペットと再会をする、あの世とこの世の架け橋になる場所にしたい、という思いを込めた、とお話しされました。 


意外だったのは、愛という言葉が仏教では良くない言葉として使われているという事でした。続編を聞きたいと思いました。 


 総会は前年度行事、決済報告を行い、承認を頂きました。今年度の予算、事業計画案のご説明を行い、ペット供養塔の事業についてもご承認いただき、7月17日には供養塔の落慶法要が行われる事となりました。


また、竹矢の松浦登美江に巡拝功労者の記念品を授与しました。

松浦さんは満願10回、およそ25年かけての浄行でした。


(観音講副会長 金本和夫 記)

宗淵寺/願興寺

島根県松江市にある曹洞宗寺院・臥龍山宗淵寺と、境内に奉祀されている出雲観音霊場第二十三番札所・新美山願興寺からのお知らせや山内行事の報告、さらに住職や寺族、檀信徒の日暮らし、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつづっています。

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